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読書感想文+アルファ……的な「あれこれブログ」

リアルの世界は、とてもムリ。

うしカウカウ




前回、『魔の山』の序文というかまえがきが


大げさな感じがするって書きましたけど



かつてのドイツ系の教養小説って


人間世界の普遍性に迫る……みたいな気概で


書かれていて



それは


いまのわたしたちの周りでよく聞かれる


「世界観」


の世界とは、まるで別物の世界を相手に


していますね。



当時は、いまのわたしたちが


(リアルの世界のことは知らないけど、

自分的にはこんな世界に浸ってる)


みたいな意味で使っているような世界観は


まったくあり得ないものだったでしょう。



もし19世紀後半から20世紀前半にかけての


ヨーロッパで


「リアルの世界のことは知らないけど」


なんて言おうものなら



それは人生そのものを放棄すること、人間辞めますに近い発言だったはずです。



でもいまのわたしたち、というか


いまのわたしは、世界情勢のリアル


なんてとても手が届かない……



あっちこっちで解説者はああでもないこうでもないとヤッてるけど、結局はっきりはつかめない。



と思いつつ、取り敢えず

(いいや、まず楽しもう。村上春樹の世界に浸って)

というので


『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を手にとっています。


それくらいの落差があるわけですから



『魔の山』のまえがきが大げさに響くのは


当然であって



むしろ、いまのわたしたちの方が


リアルの世界を放棄し過ぎている


のかも知れません。



少なくとも今のニッポンで


ほとんどの人は



リアルの世界をトータルに理解する


あるいは理解しようとするなんて


とてもムリと



口には出さないけれど思っているのでは

ないかと、わたしは感じています。

けっこう大仰な感じ。

うしカウカウ




『魔の山』は


「人生をいじくり回してはいけない」

と、声に出して言っているわけではありません。


でも、その序文を読むと


第一次世界大戦前のヨーロッパにはあった


人間の成長ステップと言いますか、それなりに豊かな人びとの話とはいえ


じっくり教養を蓄えて

「いっぱしの人間になる!」

みたいなモデルコースを


今後はもう思い描けないだろうと考えている作者の心情が強調されています。


いや、もともとはそういうモデルコースには普遍的な意義があるという信念で『魔の山』を書き始めたのでしょう。


でもそうして書き上げたあとで、その後の

「先進地域ヨーロッパ」

の20世紀社会の有りようを見ていると


(ああ、もうああいう教養の積み方はすっかり手の届かぬ過去の彼方に去ってしまったな)


と思って、あの序文を書いたのではないかとわたしには思えます。


けっこう大仰な感じを受けるんですよね、あの序文からは。

教育せずにはいられない?

うしカウカウ




『魔の山』にも


『世界の終りと(以下略)』にも


共通して言えると思って、前回の記事で


「人生をいじくり回してはいけない」という


水木しげる先生のご本のタイトルを出した

のですが


『世界の終りと(以下略)』の方は


主人公の「僕」の脳内が、文字通りいじくり

回される話なので


納得して頂けると思います。


でも、『魔の山』の方は


山の上の結核治療施設の中の話で


露骨に誰かが誰かの人生をいじくり回そう

とする訳ではありません。


セテムブリーニというイタリア人が、

主人公のカストルプを教育せずには

いられない様子は


事細かに描かれますけれど、それは決して

(人の人生をいじくり回そうをしている)

ものではありません。


あくまでも社交の、範囲にあるものです。