374737myのブログ

読書感想文+アルファ……的な「あれこれブログ」

思い出した、ビックリのこと。

うしカウカウ




『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の再読を始めたら


(あれ、なんか暗い……)

と思った。


昭和の60年代にこれを初めて読んだときは

『羊をめぐる冒険』

をワクワクしながら読んだときの体感が

残っていて


それで今度は、それがないから暗いと思うのか?


でも考えてみると

『羊をめぐる冒険』

だって、親友が滅びていく暗い話ですよね。


まあ、とにかく読み進めていきます。


と思ってたら、急に小説の中味と直接関係のないことを思い出しました。


何年前だったか、亡くなった評論家の加藤典洋さんの、新書で出ていた

『村上春樹はむずかしい』

を本屋で手に取ったことがあって


そのとき、わたしにとってはビックリなことが書いてあった。


まだまだ新人の扱いだった村上さんは、村上龍さんから、当時の中上健二さんのチャレンジなど刺激的な話を聞く機会があり


そのとき自分も大きな飛躍を目指さなくてはならないと

(そういう表現だったかどうか自信ないですが)

決意した、と言うんです。


そんなこと全然知らなかったわたしはホントにビックリした。

笑わないどころか緊張気味で。

うしカウカウ




再読の『世界の終りと(以下略)』ですが。


 読み出してすぐに 

(あれっ?) 

と思ったのは


 (調子が暗い)

 ということでした。


 壁に囲まれた 

(逃れられぬ街) 

の方が暗いのは当然ですが 


物語はそっちからは始まりません。


 冒頭は「僕」がエレベーターに乗って顧客のもとへ向かうところです。


つまりワンダーランドの方の場面です。


 わたしが四十年ほど前、村上さんの小説に夢中になっていたのは


 そのタッチが軽くてすいすい読めたことも理由のひとつでした。 


事柄としては重くとも、それを扱う手際があくまでサラッとしている、というか。


で、その四十年ほど前には、それ以前の

『風の歌を聴け』

『1973年のピンボール』

『羊をめぐる冒険』

と比べて


(暗い)

とは感じなかった『世界の終りと(以下略)』を、今では暗く沈んだようなところがある……と感じています。


なんでかな。


例のピンク・スーツの女の子の声が出ておらず(というか「僕」

には聞こえず)


「ずいぶん長い廊下だね」

と声をかけたとき、彼女が答えたらしいのを、「僕」が読唇術で

判断すると

「プルースト」

と言ったように見えた。


しかしひょっとするとそれは

「うるうどし」

かも知れないし

「吊し井戸」

か

「黒いうど」

かも知れない……という場面なんか、初読のときは絶対に笑ったと思うんですが


今回はなぜだか笑いもせず、緊張気味に読んでいました。


(続く)

では村上さんの方から。

うしカウカウ



では村上春樹さんの


『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の方から。



この小説、新刊で出たのが1985年で、多分その翌年くらい


までには読んでいると記憶しているのですが、ちょっと怪しい。



でもそれから何年も経たずに『ノルウェイの森』が出ていて


この二つの小説



もちろん中味がぜんぜん別ですけれど


(あれ、どっかが似てるな……)


と思い、でもそれがドコなのかハッキリせずモヤモヤしたことは


よく覚えています。



さて『世界の終り(以下略)』の再読を始めて


まずビックリしたのが、自分の忘却ぶりです。


(ダイジョブか? この爺さん)


って自分で言いたくなるくらい忘れちゃってるんですよ。



冒頭近くピンクのスーツの若い女の子が出てくること自体は


辛うじて覚えていましたが、その子が最初は口を動かすだけで


声が聞こえず、主人公の「僕」はやむなく読唇術で


そのことばを読もうとする



なんてことはマッタク忘れていた!



いやいや、そもそもこの小説


「世界の終り」と「ハードボイルド・ワンダーランド」とが


それぞれ別の章になっていて、それぞれ並行的に


話が進んでいくのですが、そういう基本的な章立ての枠組み


をわたしはキレイさっぱり忘れていました。



(こりゃあ八割方、初読とおんなじだな)


ってことは、一冊買って二冊分楽しんでるようなもんか?


そんなワケねえだろ! とボケ倒しておいて


あとに続きます。